高田博行等三位学者,在「歴史语用论の基础知识」(收入于『歴史语用论入门』大修出版社、2011)一文中提到了一般意义上politeness和日语中「敬语」(honorifics)的区别:
「敬语」は英语でhonorifics(オノリフィクス)と言い、ポライトネスとは异なる概念である。世界の言语に普遍的であると考えられるポライトネスが「広义の敬语」と呼ばれるに対し、日本语のような敬语は「狭义の敬语」と呼ばれる。
而这种「狭义的敬语」可能纵观世界语言之林,也唯有日韩两国独有。
つまり、オノリフィクス(狭义の敬语)は少数の言语だけに见られる、すでに文法の一部となった精巧で体系だった仕组みのことであり、どの言语にも见られるような、さまざまな方法で他者に丁宁さを示すポライトネス(広义の敬语)の一部に当たるのである。
所以,从语用学的角度来看,「广义上的敬语」在范围上涵盖了「狭义上的敬语」,而汉语也有类似的敬语表现(即题主所列举的「敬辞」),但汉语缺少如同日语那样体现在语法结构中的「狭义敬语」的表现,所以这又是汉语语日语的不同之处,或者说「汉语不存在日语概念里的「敬语」」。
首先感谢各位的回答,很有启发。故,与此基础上,采撷众长,辑成粗论。
首先,基本赞同
@曹一宇
先生的观点,即:
日语中的“敬语”概念有狭义与广义之分。狭义者,现代日语之“语法体系”;但论广义,则还包括泛指“敬称”的词汇表达。
敬语とは、言叶で表现する主体(书き手、话し手など)とその相手(読み手、闻き手)やその话题中の人物との社会的関系(亲疎、権力の大小)と态度を表す言语表现である。ポライトネスを実现する手段の一つであり、狭义には体系的に文法化されているものを指すが、広く敬称などの语汇的表现を含む场合もある。
其次,以史料见,若论“亲缘”,则不妨一探,作为现代日语定基之江户期汉文体(训读)的敬语表达。
为了便于诸君一见训点原貌,故截图以示。(1932年刊,《汉籍国字解全书》,中村惕斎讲述:《论语示蒙句解》,元禄14(1701)年自序,享保4(1719)年刊)
如图1、2可见,同一个汉字「曰」字,在这里出现了两训,图1训点为「ク」,念法为「いわく」;图2则表记为「玉ハク」,读成「たまわく」。
再以宽文12(1671)年刊,初刻本《小松版四书集注》为研究对象,统计「玉ハク」训点之用例,共183处:
以孔子为对象的使用例162处;以孔子外所用例17处,分别为“尧舜”(1)、“舜禹”(2)、“舜”(3)、“禹”(3)、“先王”(2)、“文王”(1)、“泰伯”(1)、“天”(1),“父”(2);(另有4例无法确定)
当「曰」之训表记为「たまわく」时,几乎都紧随孔子,或孔子之言论出现。(斋藤文俊,《汉文训読と近代日本语の形成》,勉诚出版,东京,2011年,p.219-220)
故,学者斋藤文俊有论:谓汉文训读中的「敬意」表达,以《论语》论,便是对《论语》作者其地位之重申。而在训点资料中,又能一窥,起原作者与读者中介作用的翻译者(加点者),于注训时所表之态。(同上书,P.217)
(另可见铃木朖,《改正読书点例》(国会图书馆藏本)最后一节《书ヲ読ム二心得チガヒノ事アル一种》:……孔子ハ格别ノ师ナレバ、君亲ノ列二タフトムハ、其作者ノ尊ム也。……「哀公问テノタマハク」「定公问タマハク」トヨムべシ)
所以,在近世中前期,汉文训读「敬语」的一种表达,体现于其汉文训法——即「同字异训」。若以假名亦作一国文字来考,则不外乎同一概念之下,以换词表「内外尊卑」之「秩序」。如権田直助《汉文和読例》(P.55)所记:
……和文、歌书等にいへるは、皆、吾が君主、皇亲、或は、尊贵の人なる故に、「たまふ」といふ词をもいひそふるなり。これのみならず、「ます(坐)」、「まつる(奉)」、「のたまる(宣)」、「のたまはく(宣)」の类、皆然り。これ尊内卑外の定理にして、人としては意得ずはあるべからず。平常の言语も亦同じ。